書は版画家守洞春による

稲豊園
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暮らしの中に四季を彩る / 和菓子処 稲豊園(とうほうえん)


お店の歴史



当店は創業より100余年となります。
 現在私で三代目となりますが、
 初代は、東京へ勉学に行ったはずが、知らぬ間にお菓子のとりこになってしまい、
学校そっちのけで、あちこちのお菓子屋さんにて修業を積み、
学士になって帰って来るものと期待していた親の期待は裏切ったものの、菓子職人として帰郷した後、
当地で和菓子店を創業致しました。
次の二代目は、当初和菓子店を引き継ぐ気はなく、美術学校へ進学して、
その方面での職を得ることを夢見ていたらしいのですが、
初代が急死してしまい、(仕方なく?)尾張一宮の「まるみや」さんに修業に行きました。
そこで二年間、お世話になった後、兵役検査等の関係もあり、帰郷して店を継いだのですが、
やがて召集令状が舞い込み、戦場へ・・・。
終戦後しばらくは砂糖等の供給がストップしてしまい、お菓子の製造をすることが出来ず、糊口を凌ぐために、
にわか仕込みの玩具店をやったり、花屋をやったりしたそうですが、
これが後々、例えば花をモチーフにしたお菓子を作る時などに非常に役に立ったそうで、
根が頑固一徹なので、図らずも横道へ逸れることになったことで、余計に視野が広がった、とは本人の弁です。
 
さて三代目の私ですが、「売家と唐様で書く三代目」の例に漏れず、虚飾を捨て(?)、
本業に打ち込む(?)ようになるまでにはだいぶん歳月が必要でした。
帰郷した動機も不遜そのもので、当時法律関係の万年受験生だった私、
「家に帰って半分仕事の手伝い、半分勉学すりゃいいさ」という腹づもりだったのですが、
そんなことの出来るワケもありません。
なんといっても作る仕事、注文が入れば時間なんて関係ないのです。
半日勤務のつもりが一日に、一日勤務のつもりが、ひねもす、よもすがらとなって行き、
その内興味が出て来て、欲も出て・・・、
となるとそうそういつまでも二足の草鞋を履いているわけにもいきません。
気が付いた時にはとっぷり和菓子の世界にハマっていた・・・。という顛末なのですが、
いま家業と対峙して肝に念じていることは、
素材をよく吟味し、かつ納得のいくもののみ使用し、その特性を十二分に活かすために、
絶対に手抜きをしないこと

ということです。

以前、慕っていた大先輩にこんなことを教えられたことがあります

作り手にはそれぞれ、自分の標準というものがある。
高すぎるから、とか手間が掛かり過ぎるとか言ってランクを落とせば、
その内それがその作り手の標準となる。
高いけど、手間は掛かるけど、と考えながらでもそれを固守している内に、
それがその人間の標準となって、それが当たり前で、別に苦にもならなくなってくる。
つまり、それが自分の標準になっているのさ
」、と。

以上、大上段に振りかぶったようなことばかり並べてしまいましたが、
要は和菓子司として、お客様に「あの菓子とっても美味しかったわよ」と言われる時が、
何と言っても至上の喜びなのです。
これからも美味しいお菓子を作り続けていきたいと思っておりますので、
どうかご声援下さいますよう、宜しくお願い致します



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